津島神社の祇園祭の時にくぐる茅の輪の意味をご存じでしょうか? あまり知らない人も多いかと思いますので、貴船神社宮司の関正胤さんにその意味を教えていただきました。
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茅の輪 |
茅輪神事は、「ちのわしんじ」と訓む。茅輪をくぐり越えて罪穢を除き、心身の清浄ならんことを祈請するので、「輪越祭(わごしさい)」「茅輪くぐり」とも云います。茅とは、ち、かや、ちがや、であって、菅(すげ)、薄(すすき)など、多年生草木の総称です。
茅輪の起源にいては、釈日本紀七に、備後風土記逸文を引用して、次の様な事柄が記してある。
して、土民の蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦(こたん)将来と云ふ兄弟に宿を求められた。その時、弟の巨旦将来は、裕福な身であったにも拘らず、宿を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は、貧しい身であったが、尊をお泊めし、粟柄を以て座を設け、粟飯を饗して御待遇申し上げた。その後、年を経て尊は再び蘇民将来の家を訪れ、「若し天下に悪疫が流行した際には、ちがやで輪を作り、これを腰に著けてをれば免れるであらう。」と教へて頂いた。この故事に基づき、蘇民将来と書いて、これを門口に張れば、災厄を免れるといふ信仰が生じ、また祓の神事に茅輪を作ってこれをくぐり越えるようになったのです。
茅輪の作り方については、和訓栞に、「茅の輪を云ふ。輪二丈六尺、囲八寸藁を以て造り、茅を中心とし、紙を以て纏ひたる者也。」とあります。
茅輪神事は、一つに「夏越祓(なごしばらい)」とも「名越祓」とも書きます。六月三十日の大祓当日、又は、旧六月三十日前後、神社の夏祭に付随して行ふ例が多い。夏越(なごし)と称するは、旧暦によると、六月晦は、四、五、六月が夏であるから、夏越しに当るとせられるわけです。
又なごし」は「和(な)ごし」「和儺(なごし)」で、人の心を和(なご)やかにするのであると云ふ説も存在しています。
即ち、禍を除き、人々の不満を除けば、平和になることが出来ると説くのです。又菅貫(すがぬき)ともいひ、菅抜とも書く。菅輪をくぐり抜けるからと云うところからの名です。
要するに茅輪も、最初は各自が腰に着ける程の小さいものであったが、時代を経るにつれて大きくなり、社頭にこれを設け或は鳥居や神門などにとり懸け、これをくぐり越えて祓除を行ふやうになって今日に及んでいるのです。
貴船神社の境内に鎮座する津島神社は尾張国の津島神社から明治六年に勧請された為、例祭は尾張国の津島神社と同じ六月十四、十五日に明治六年以来執り行はれているのです。
下記に茅輪を潜る時の唱へ言葉の例を書いておきます
「みな月のなごしの祓する人は千歳の命のぶといふなり」
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